発達障害の診断がおりるまで、気が狂いそうだった私のリアル
今回は、ずっと書けなかったことを書きます。
育てにくさとの戦い
息子が小さい頃からずっと、癇癪がありました。
育てにくさを感じながらも、何が原因なのかわからないまま日々が過ぎていきました。
SNSや周りを見ていると、みんな「大変」と言っています。
比べても仕方ないとわかっていても、「うちほど大変そうではないな」と感じることが正直ありました。
それが孤独感をさらに深めていたのかもしれません。
夫は激務で無関心でした。何度助けを求めても人ごとで、息子を見てくれませんでした。
「仕事で困った状態になればいい」
「離婚して、息子は施設に預けたい」
そんなことまで考えていました。
当時の私は、正常な精神状態ではありませんでした。
「産まなければよかった」
「育てきれない」
「死んでほしい」
そんな気持ちが頭をよぎることもありました。殺す気持ちは一切ありませんでした。ただ、限界だったんだと思います。
気が狂いそうというより、気が狂っていたんだと思います。それくらい追い詰められていました。
当時、育児放棄や、我が子を傷つけてしまったというニュースを見ると、他人事とは思えませんでした。
育児が大変で限界になった親の気持ちが、痛いほどわかると思っていました。
今は絶対にそんなことはしません。でもあの頃の私は、それくらい追い詰められていました。
私自身もメンタルクリニックに通っていて、必死に毎日をやり過ごしていました。
実は幼稚園の頃から指摘されていた
振り返ると、サインは早くからありました。
年少、年中の頃から育てにくさを感じていました。
気になって園に聞いてみると、一番前の先生の前の場所が指定席になっていました。
理由を聞くと、「癇癪や人付き合いの問題は他の子にもあること。息子は頻度が多いけれど、障害とは思わない」と言われました。
年長で検査を受けましたが、その時点でも指摘されませんでした。
ただ年長の頃には先生から「ADHD傾向が強く問題児です、人付き合いにも問題がある」とはっきり言われました。
さらに「小学校に行ったら薬の服用も考えた方がいいかもしれない」とも言われていました。
それでも正式な診断はなく、モヤモヤしたまま小学校へ進学しました。
どう対応していいかわからなかった
育てにくさを感じながら、どう対応していいかがわからず、あちこちに頼りました。
- カウンセラーに相談
- MLM系のコミュニティに頼ったこともあった
- 宗教っぽいものに相談したこともあった
今思えば、それだけ必死だったんだと思います。正しい相談先がわからないまま、助けを求めていました。
相談先を探して
小学1年生で癇癪がひどくなり、不登校気味になりました。
私はどう対処すればいいかわからず:
- 保健所に相談
- スクールカウンセラーに相談
あちこちに頼りました。
発達検査で診断がおりた
その流れで発達検査を受けることになりました。
結果は自閉スペクトラム症・注意欠如多動症。
診断を聞いたとき、正直「腑に落ちた」と思いました。
そして同時に、「もっと早くつながっていれば」とも思いました。
診断がついてから変わったこと
診断がついてから、療育・放課後デイサービスを利用できるようになりました。
正しい場所に相談できる場所ができた。それだけで、私自身がずいぶん楽になりました。
4年生で新たな診断が加わった
4年生になり、担任の先生から何度も「字が汚い・読めない」と指摘されました。
実は今まで字が汚いことはわかっていましたが、指摘しないようにしましょうと学校側と以前から話し合っていました。
それでも新しい担任の先生には伝わっていないのか、何度も指摘される状況になってしまいました。
発達医療センターで相談したところ、書字障害も指摘されました。
今後は作業療法士との訓練が始まる予定です。
診断名が増えることは不安でもありますが、「対処できる」ということでもあると思っています✨
今の私より
あの頃と比べると、変わったことがあります。
夫が少しずつ協力的になってくれました。それが一番の助けになっていると感じています
「健常者を育てたかった」
今でも、そう思うことがあります。
それは息子が嫌いなわけじゃない。ただ、毎日フォローしながら育てることへの疲れが正直あります。
今も日によっては追い詰められる日があります。いちいちフォローが必要で、疲れていることも正直あります。
それでも以前と違うのは、相談できる場所があるということ。
完璧じゃなくていい。助けを借りながら、一歩ずつ進んでいます。
こんなことを書くと批判されるかもしれません。
同じように感じているママがいたら、あなただけじゃないと伝えたいです🍀
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